【女ま館日誌 2003-2004】

平成15年11月06日〜平成16年12月23日の日誌
東京の西のはずれにひっそりと存在している少女まんが館の日々のものごとを記していこうと思います。

12/23(木) 天皇誕生日 いい天気。晴れだけど、寒い
床下補強決死隊。

午前8時起き。寝坊だ。
祝日のため気がゆるむ。

昼下がり、床下補強のため床下に潜る準備を始める。帽子かぶって、作業用フリースとズボンはいて、マスクして、軍手して、働く格好は出来上がり。ブロック3個、ジャッキとジャッキスタンド2個、床下入口において、懐中電灯片手に床下へ潜り込む。匍匐前進じゃなくても、よつんばい歩きぐらいできた。荷物を「山の端」入口まで全部運び、基礎のすきまをくぐって、「山の端」の床下へ。ジャッキの方はなんとか。ジャッキスタンドは全然高さが足りない。計算間違いで10センチ低かった。もいちどブロックひとつはこんで、ジャッキをもう少しあげて、スタンドのサドルに軍手にいれた石をはさんで、高さの微調整をして終了。「山の端」の北東側床下が補強された。とりあえず、ひと安心。

中野は(〆切に)追いつめられていると言いつつ、中庭整備に余念がない。

午後5時から晩ごはんの準備。白菜と豚肉・厚揚げの炒め物。ほうれん草とわかめと油揚げのおみそ汁。白いご飯。どれもおいしくできました。6時半頃から食べ始める。娘はごはんとみそ汁ぐらいしか食べず。豚肉を食べない。白菜も食べない。

午後7時過ぎ、親子3人で四畳半の物干し竿に洗濯物を干す。湿度が40パーセントとかなり低いため。娘は洗濯かご(竹製の背負いかご)から濡れた洗濯物を取り出して、とーちゃん(中野)にぱっぱと手渡したりして、多少は役に立つ。家族で農作業してるみたい、と中野。確かに。

12/16(木) あたたかい小春日和
ゆずゆずゆず。

女ま館、いつも通り、午後1時から6時まであける。

午後4時前、四畳半のほうで洗濯物を干していると、「あっ」という子どもの声が異常に近いところから聞こえた。なんと「座敷」まで、子どもが入り込んでいた。5人ぐらい、開架式蔵書&閲覧スペースの「山の端」から、閉架式蔵書スペースの「あかね」を通り、「二畳城」を通り、「座敷」にまで達して、うろうろしてる。私が姿を見せるとすぐに帰ったが、あとでまたひとりやってきた。これぞ、まさに座敷童。番台をお留守にするといかんわ。

5時頃、常連Aさん来館。

晩ご飯、娘はオムレツと小松菜スープ、麦茶、大人は山菜そば。

夜は久しぶりにインディアカへいく。クリスマスのイルミネーションをめちゃくちゃりっぱに飾る家を見たりしながら。娘は自治会の人々にかたまりつつも、ボール遊び、パス練習などを私や中野と一緒にやる。8時半、早めに切り上げて帰宅。

そういえば、娘を迎えに行くと、保育園の送迎口に段ボールがあり、たっくさんのゆずが置かれていた。「ご自由にお持ち下さい」とのこと。この保育園の経営母体、天正寺のゆずだとか。今年は豊作で豊作でもう大変、とのこと。1個いただいたが、、M子先生に「もっと持って行って」と、通園バッグに5個入れられてしまった。減らないんだとか。

このあたりの家の庭先には、ゆずがたわわに実っていたりするので、皆、どこからかもらっているのだ、ゆず。私もすでにあちこちからいただいていたので、あっちゃーという感じ。ほんとは、ゆず、大好きなのだが、そうたくさんあってもなぁ……。そりゃ、ありがたいのだけれど。ほんとに。ゆずの香りも好きだし、バンドのゆずも好きだけれど。

「ももくり3年かき8年……のおおばか18年」と長年ド忘れっぱなしでわからなかった「おおばか」さんって、もしかしたら、ゆずじゃなかったっけ? と思い出し、辞書で調べると、ぴんぽーん。ゆずか、あなたがおおばかさんのばかやろうさんだったか。

12/10(金) 晴れ
寄贈書が届きました。

生協のインターネット注文で、お正月分をしめて3万円ぐらい買ってしまう。年末にお買い物に行かないぞ作戦。

女ま館日誌をHPにアップすべく、パソコンを台所に持ち込んで作業。パンを食べつつ。中野が起きてきて朝ご飯というか第1食目を食べる横で作業。11月分までなんとか終わる。が、12月まで届かない。まだ、アップできず。

夕方、寄贈書届く。ニフティのHPで紹介された反響か。段ボールの中には、リストもあった。ありがたい……が、できれば、デジタル・データで欲しかったなぁと、丁寧に書かれたリストを見つつしんみり。そうだ、と思いつき、すぐ、その旨を女ま館HPに入れ込む。

晩ごはんは、冷凍ほたて、キャベツとにんじん・ピーマン・タマネギ入りサラダ。冷凍もちもちチーズ、白菜と厚揚げのおみそ汁とごはん。

12/09(木) くもり
インディアカって知ってます?

午後1時、女ま館を開ける。

ひとりで昼ご飯して、石油ファンヒーターに灯油を入れて、「山の端」の番台にて、女ま館日誌をアップすべくパソコン作業。夕方、常連Aさん来る。中野としばし談話。おせんべとお茶を出す。

午後6時、女ま館閉館。走って保育園へ。娘を迎えに行く。彼女はサンタさんの絵本を先生といっしょに読み終えたところだった。

夕ご飯はとき鶏(鶏肉をフライパンで焼いて、醤油1みりん1の付け汁につけたもの、手早くできておいしい)、ボイルキャベツ、厚揚げとねぎのみそ汁、ご飯、もずく、つぼ漬け、緑茶、りんご。

中野は近所の大久野中学校の体育館へ。自治会のインディアカ・チーム「かやくぼ」に入っているため、その練習が毎週木曜日の午後7時半から9時半まである。近所つきあいかつ運動不足解消で一石二鳥な時間。汗びっしょりになる。私もやっていたが、子どもができたためお休み中。

そうそう、インディアカって知ってるだろうか。私は女ま館に引っ越してくるまでまったく知らなかった。これは、酒まんじゅうのような白くて平たいボールに赤い羽根がついたものを、素手で打ち合うスポーツ。インディアンが遊んでいた姿を見たあるドイツ人が、改良して世界に広めたらしいわりと新しいスポーツである。バレーボールとバトミントンのあいのこのような。ママさんバレー卒業者が愛好してたりする。子どもから大人まで誰でも楽しめるし、両手を使うので、テニスや卓球経験者には新鮮なスポーツだったりする。

また、インディアカに行きたいもんだ。

12/07(火)
ハクビシンのうんち?

寒いけど、晴れ。朝の室温7度。
布団干して、四畳半と台所をそうじして、洗濯。
中野が昼頃起きてきたので、いっしょにご飯する。

そういえば、1週間前ぐらいにハクビシンさんのものであろううんちが2日続けて家の前のコンクリートスペースにべっちょりついていた。ぎんなんと柿の種入りのうんち。2日目には、玄関前にも下痢状のうんちが……。他人様(?)のうんちも始末する私であった。

また、ケヤキの小道わきには、ポッカコーヒーの空き缶がよく落ちており、それを片づける役もなぜか私なのであった。他人様のゴミばかり……くぅ。

午後5時過ぎ、近所に住む親子3人様が遊びに来る。うちの娘は自分のおもちゃを使われて気が気でない。うそ泣きまでした。遊びに来たのは5歳の女の子と2歳の男の子の兄弟とそのお母さん。他人様の子ではあるけれど、彼らは素直で落ち着いていてかわいいのである。りんごジュース、タマゴボーロをおかわりして、食べっぷりもいい。

中野は、所用で学芸大学へ。そしたら、洋楽直訳シンガー、王様とばったり。はるかむこうから、金髪のあやしげな中年おやじが手を振っていて、一体誰かと思ったら、王様だったらしい。いっしょに夕ご飯して、子ども話に花を咲かせたそうだ。王様とは昔の仕事仲間なのだ。

2004/11/25(木)
ほふくぜんしん、床下調査。

すばらしい天気。今日も小春日和。

娘を保育園へ送った後、メールチェック。返信書き。

中野が珍しく朝起きてくる。ふたりで庭を散策しながら、またもや、女ま館の近しい未来についてああしようこうしよう、こうしたらああでこうで、と打ち合わせ。

倒壊しそうな物置に巣くういろいろ雑物を少し整理。数日前に切った小道のケヤキのひこばえ(小枝)を少しだけ、きりんかんへ運ぶ。 きりんかんには薪ストーブがあり、薪大募集中とのことだったので。

したらば、きりんかんの地主さんに声をかけられ「うちのケヤキの枝も切ってよ」といわれる。まさかの依頼にあぜんとし「いやー素人ですから、それは……と」やんわりおことわり。

でも、いい話をふたつ聞いた。切って欲しいというケヤキは地主さんの敷地西側に流れる沢沿いにある。なぜ、そんなところにケヤキの大木があるのかというと、昔はコンクリートで護岸工事などできなかったから、沢沿いには石を積み、ケヤキを植え、石積を固定していたとのこと。ケヤキの根っこに石を支えてもらっていたわけで、なんというエコロジカルな発想、古人の知恵だわ、と感心する。

もうひとつは、この沢の水は絶対に涸れないという話。昔、萱窪(かやくぼ)が渇水になったときでも、この沢の水も地主さんの井戸も涸れなかったという。田舎の旧家は山ぎわにあるのが常だが「それは水があったからだろうね」と地主さん。地主さんの家もすぐそばに山がせまる。湿気はひどいけど、湿気より陽当たりより、まず水が大切だったのだ、と。なるほど、確かに。水なのだ。水。

人体の70パーセントは水だというし、野口体操の創始者さまは、ヒトのからだは「皮膚という袋に色々な液体が入って、その中に骨が浮かんでいる」というし。

昼ご飯は冷凍えびピラフと厚揚げと緑茶。

昼下がり、帽子をかぶり、作業着に着替えて女ま館床下調査に挑む。

「やまのは」の基礎がわれて落ち込み、床の一部が斜めになっているため、それをなおさないとやばい、ということで。以前、床下補強に車のジャッキを使うといいよ、と建築関係の方から助言いただいたのを思い出し、それを実行すべく、まずは、調査だ。

ほふくぜんしんはきつかったが、なんとか、調査終了。じゃりと木くずと枯れた笹。荒れた砂漠である、床下環境。「やまのは」の北側に、なぜか浮いている柱があり、その下に木っ端をいくつかつっこんで、いいかげんな補強をしておく。

「やまのは」の床高は55センチと65センチ、あかねは60センチであった。

女ま館は1時少し前にあける。はたきかけて、ほうきして、机を拭いて。カラーペンシルを机ではなく床に置いてみる。

午後3時頃か、小学生集団がケヤキの小道を何度も駆け抜ける。がざがさがさ、がさがさがさ。ちょっと大きな獣のように。

落ち葉がときおり雪のように降る。だいぶ落ちて、空が見えてきた。

2004/11/21(日)
神田ぱんさんきたる。

すばらしくいい天気。

今日は女ま館旧世話人の神田ぱんさんが、ニフティポータルサイトのコネタ記事として女ま館を取り上げたいということで取材にやってくる。感謝。

女ま館は、午前11頃、娘を小脇に抱えて、うんしょうんしょと看板を運んで、臨時開館。「臨時開館」と書いた紙がぼろいと中野に指摘されて、書き直す。

座敷のはだか座布団にカバーしたり、トイレをちゃっちゃとそうじしたり、ご自由に看板を新しくしたり、洗濯物を取り込んだり。換気扇カバーを取り替えたり。

風呂場前の廊下には、野菜に人形など娘のおもちゃやらおまるが鎮座。これは仕方ないとあきらめていたら、中野が「だめだ」と一喝。全部、押し入れに押し込む。つまり廊下はなにもなくなった。座敷は、はきそうじにふきそうじ。

午前中は娘をお隣の小学校までつれていって校庭で遊ばせたりする。やっぱり、娘がいるとメールひとつ見るのに大変。メールチェックしていたら、膝に乗ってきた娘に写真をせがまれて、スライドショーで生まれたての頃から今までのものを全部見せたのだった。なにかと時間がかかる。

近所のおいしい和菓子屋さん「幸神堂」で、お気に入りのおみたらし団子10個と玄米茶と急須を買って、来客に備える。

朝方には、ふと起きて、ソイビーンズシチューをつくった。もしかして、昼ご飯食べる時間がなかったというような場合、お出ししようと思ったのだが、それは出さずじまい。

娘は12時半に寝た。午後2時ごろ、あまりに私たちがそうじに専念してがたぴしやっていたため、目が覚めてしまったようで、ふたたび添い寝。おっぱいをまさぐりながら、やっと寝る。またまた時間をくう。

そうじも一段落、中野と台所でお茶してると、「こんにちはー」とほのぼのした神田さんらしき声。女ま館側から声をかけたが、いらえがなく、玄関にまわってきました、とのこと。気づかず、すいません。玄関も開け放していたので、気軽に立ち入れるようになっていたのだ。

神田さんは髪を二つに縛った女性とわかーい男の子をつれてきた。すでにいろいろ写真をとっていて、やまのは神棚の少女まんがこけしといっしょに神田さんをパシャと撮影。このこけしは神田さんが作って寄贈してくれたもの。作者と神様。しばし中野がお相手する。

が、仕事の電話が入り、今度は私が相手する。蔵書数などきかれ、2万冊ぐらいと答えた。神田さんは大昔に岡村みどりさんとふたりで女ま館にきたことがあったらしい。湿気がすごくて、大変だったとか。女ま館がまだ倉庫だったあの時代を知っている人であった。「よくここまで」とおどろいているようであった。

年末に開架式の部屋を「やまのは」から「おく」に移して、座敷が閲覧室になるようにしたいといったつもりだが、通じただろうか。いつかは箱善にお茶などを出したりもしたい、と。

ご同伴の女性、土屋さんは、しきりにもったいないという。中庭を見て、ここでも読めるじゃん、と。とくにテラス部分はすぐにでも閲覧室になるじゃん、などいろいろと案を出してくれた。きっちりと化粧したスポーティファッションのこいきなおねえさん、男の子は息子さんで小学校6年生だそうだ。利発そう。

電話を終えた中野が再びお相手。「やまのは」で。その間、みたらし団子とお茶を出すべく、準備。座敷にお出しして、皆を呼ぶ。

すでに娘は目を開けて布団の上でごろごろしていた。結局3時半ごろまで寝た。保育園ではお昼寝は2時間らしいが、家ではそっとしておくと3時間は寝るみたい。

しばし、お茶をしたあと、娘と台所でお菓子などをほおばる。しばらくして座敷へと娘を連れて行く。最初はかたまって静かだったが、一呼吸おくと元気になってきて、おしゃべりが激しくなり、お絵かきボードなどのおもちゃを運んで、皆の気をひく。とくにおにいちゃんの気をひこうとしている。最後は、ボールをもってきて、「いくじょお〜」とおにいちゃんとボール投げ。親そっちのけで子ども同士で遊んでいた。

薄暗い六畳の座敷で、丸くて古いちゃぶ台をかこみながら、大人4人と子ども2人とでがやがや楽しく話す。あまり女ま館取材にならなかった?

そういえば、のべ来館者数をきかれ、芳名録を見返して、200人と答える(だが、これは間違いでした。あとでさらに確認したら250人以上はいた)。4時47分のホリデー快速東京行きで帰るつもりとのことで、4時半頃、車で武蔵五日市駅まで送っていく。

帰宅後、親子3人、しばし座敷でくつろく。豊かな気持ち。ひろーい。いつも四畳半の台所とかタンスやテレビが置かれた四畳半ですごしているため……。娘はバイゴーで買った一箱99円のケミカルお菓子を7〜8個も食べる。牛乳はこぼすし、もう、大変。父子を座敷に残し、ご飯をたいて、夕食に備える。

夕食は、娘が子供用レトルト親子丼、中野がレトルトカレー丼、私はいろいろ残り物。娘は親子丼をほとんど食べず、中野のカレー丼をよこどり。食パンもあとから食べると主張していた。

ゆずをいれたお風呂に娘と入る。一日家で過ごし、お客様とも遊び、そのせいか、ごきげんの娘であった。

「とーちゃん、いっしょにねんねしよ」と、娘が父親をなんぱ。、親子3人、四畳半に布団を二組敷いて、川の字になって寝る。午後8時。

2004/11/20(土)
今日は臨時開館日。

すばらしい天気。

町内文化祭がお隣の公民館で始まった。女ま館も便乗して臨時開館。いつも通り午後1時から6時まで。

娘を保育園へ送った後、洗濯、台所かたづけ、四畳半、ろうか、トイレをほうきではく。
寄贈リスト確認作業続ける。うーん、だめ、4冊あわない。が、もう、「ほか」ということで処理。HPにリストアップする。

隣組の組長さんが歳末助け合い募金を集金にいらした。千円募金する。

2004/11/18(木)
寄贈書の冊数確認をする。

曇り。昼過ぎから、小雨がふる。

朝6時起き。娘のお弁当を作らねばならない。今日は月に一度のお弁当の日。昨日ご近所さんにいただいたお野菜も下ごしらえしとかないとしおれちゃう。八頭と里芋のあいだぐらい、という名前のわからぬお芋のにっころがしをつくる。うんまい。いきのいい大量の大根葉はスパゲッティなべでゆでる。

ふりかけおにぎり、おいものにっころがし、すずしろの煮物、大根葉のおかかあえ、ソーセージ3本、ゆで卵半分、トマト、りんご、が今日の娘のお弁当。

出かけ際に娘がうんちを2回もするしで、資源ゴミ出すのが遅れる。 とはいえ、びんと有害ゴミ、紙ゴミは出せた。缶のみ収集済みであった。半分間に合い、半分間に合わず。

洗濯して、四畳半はいて、洗濯物たたんで、洗濯物干して、ろうかも掃除。台所片づけてもう11時。昨日の残りのスパゲッティをあたためて、早昼飯。自分で焼いたティーケーキを最後に食べる。やっぱりうんまい。

12時半から女ま館準備作業。ぼろぼろの黒スパッツをももひきがわりにはいて、ダウンベストきて、フリースの帽子かぶって、女ま館仕事開始。これでもう、寒くないぞ。午前中は、石油ファンヒーターたいたり、電気ストーブつけたりで、台所と四畳半はぽかぽかであったのだが。「あかね」(閉架式蔵書の一室、番台のある部屋名)の室温、12.5度ぐらい。

はたきかけて、ほうきではいて、ころころカーペットでじゅうたんそうじして、看板出す。玄関前の落ち葉をはき、ケヤキの一郎君まわりだけ、落ち葉をひろってゴミ袋特大ひとつにぎゅーぎゅーつめこむ。座敷をきれいに片づけ、北側の廊下に何も置かず、来客に備える。私の机まわりだけちょっと乱雑。

「おく」を少し片づけて、日誌書き。したらば、生協きたる。また、担当が新しい人に変わった。新しい人の連続。よっぽどきつい仕事なのか? と想像する。

寄贈書の冊数確認。いただいたリストより50冊少なく、リストにない「これは少女まんがじゃないと思うな〜」というものがいくつかあり。迷ったが、とりあえず、そのままリストをHPにアップする(のちほど、リスト修正しました)。

夕方、常連Aさん来館。写真撮影教室でとったという写真をもってきてくれる。上手になっていた。女ま館の小道もうつっていた。写真におさまると、なぜかsいい感じになる女ま館の小道。

Aさんから青梅にある喫茶店「夏への扉」、河辺にある自然食品の店「キヴァ」、青梅の北、岩蔵温泉奥にある薪のかまどで焼くパン屋さん「ムジ」など、西多摩個性派のお店の場所を教えてもらう。青梅駅前には「モギ」というライブハウスもあるんだとか。へぇと思う。

とにかくもう、真っ暗。午後4時半過ぎにはくらーくなり5時には真っ暗。

6時ジャストに小雨の中、看板をしまう。開館時にいつも外壁にかけてある「ご自由にお入り下さい」看板の文字が涙を流している。ああ、かえなくっちゃなと思う。

2004/11/11(木)
巨大本棚、届く。

女ま館ジャスト1時に開ける。

中野が剪定ばさみを持ち出して、公民館側の小道脇植物群を刈り込んでくれた。植木屋・中野になりつつある。わさわさとうるさかった小道脇の植物群がこぢんまりとして、歩きやすくなった。

昼間には、つい先日貴重な寄贈書をくださった方から本棚が届く。ひとりで持つのがむずかしいほど巨大な箱がふたつと小さめがひとつ。解体して梱包するのが大変だったろうなぁと思う。ありがたい。

夕方、常連Aさん来館。紅茶とチロルチョコレートをお出しする。

今日はなにかと届け物が多かった。兄貴から九州土産の明太子が届き、J-waveから中野が出演した番組の録音テープが届く。『月で遊ぶ』(2004年10月発行、アスペクト、1575円)の反響のひとつだ。寄贈本棚はなぜか2回に分けて届いたので、宅急便やら佐川急便やらの出入りがはげしい一日であった。

午前中は、羽村のドイトへ置き畳みを買いに行く。車で片道11.5キロ。四畳半床張りの台所に置くためだ。台所の床に直に座卓を置き、座布団を敷いてご飯を食べる、というスタイルが我が家の食卓だった。が、床はあまりに寒い、冷たい、なんとかしたい、とかねがね思っていた。数日前にたまたまドイトに行ったときに見つけて買った半畳分の置き畳みが、大変あたたかくて具合よかったので、さらにふたつ足して、座卓まわりを畳敷きにしようと計画。それを実行したのであった。2000円半畳分ふたつを購入。すぐに台所に設置。ぴったし、あったか、しあわせ。

2004/11/04(木)
ケヤキのやぶをやっつける。

女ま館はいつもどおり、午後1時にあけ、午後6時に閉める。

小枝と竹と野いちごと落ち葉と彼岸花と……藪としかいいようのないケヤキの根元エリアを一掃すべく、シャベルと鎌を使って戦う。根っこが網の目のように生えていて、なかなか進まず。

そういえば、南北に走るケヤキの小道にならぶ、5本のケヤキの大木。北側から一郎君、二郎君、三郎君、四郎君、五郎君となづけたが(あ、もちろん勝手に)、中野が「真ん中の木が小さいから、大きい順にしないとだめ」ということでクレームがつき、改名。一番北側が一郎君であることは変わりないが、二郎君は次に大きい一番南側のケヤキ、旧二郎君が三郎君、四郎君は変わらず、一番背の低い旧三郎君が五郎君ということになった。

昨日は一郎君エリアで戦い、今日は三郎君エリアまで進出。敵の土と根っこは、手強い。

夕方、常連Aさん来館。珍しいきのこをもってきて、見せてくれた。男根の形をしたもの。それになんか変な臭いもした。檜原村の山で、朽ちた木の根元に生えていたのだそうだ。世の中には、いろいろな生き物(?)がいるもんだ。


2004/10/28(木)
屋根のペンキを塗る。

とってもいい天気。
女ま館はいつもどおり、午後1時にあけ、午後6時に閉める。

森の中庭にメス。中野がのこぎり使い、私はその助手役で樹木伐採作戦。薄暗かった中庭に広い日向が出現した。うれしい。

その後は、さびて真っ茶っ茶になった北側の屋根のペンキ塗り。育ち過ぎた柿の枝が屋根にかかり、どうもそのせいで、北側の一部だけがさびて茶色くなってしまったようなのだ。ずっとずっと気になっていて、今やらねば、あまりに近い将来、雨漏りしてしまうのではないか、という危機感が雪だるま状態になっていた。「虎さん」なる作業用運動靴をはいて、屋根にのぼり、慎重に足運びしつつ、どっちゃりペンキをはけにつけて、さっさかさっさか塗る。さびをきれいにとって、などという下準備などせず、いきなり、塗りたくる。下準備がめんどうなので、やっつけ仕事である。

2004/10/21(木)
ほうきではけば2000分の1……。

台風一過、なのに、くもりどころか小雨まで降る。

娘を保育園へ。朝、なかなかおっぱいを離さない。ずっとさわっていた。なんども「握手でバイバイバイ」と歌って、バイバイのまねをするものの、バイバイせず。おっぱいさわりまくり。

ジャムパンとねこまんまと牛乳という珍妙な朝ご飯。

保育園から帰宅して、今日こそ始めるぞの”ゆる体操”30分ほど。月経血を止められる、という魅惑の身体の力を抜く体操(『オニババ化する女たち』『昔の女性はできていた』等参照)。本を片手にやってみたが、呼吸法がまったくわからない。うむむ。

台所でお茶を飲みながら、今日のやることを書き出し、朝日新聞読んで、食器等片づけ、四畳半の布団をあげて、ほうきではきそうじ。「電気掃除機の2000分の1」と思いながら。

エネルギー換算すると、そういうことらしいことをある発明家が言っていて、そのフレーズが心から離れず、なるべく、電気掃除機を使わず、ほうきではいたり、ボロ布で拭き掃除したりするようにしているのである。ほうきではけば2000分の1、ほうきではけば2000分の1、ほうきではけば2000分の1、ほうきではけば2000分の1……。

一瞬日差しが見えたので、やめようと思っていた洗濯を始める。コンタクトレンズをして化粧などしてみる。生協インターネット注文。その間、郵便屋さんがどっさり郵便物を持ってくる、電気メーターの確認の女性も来る。

振り返ってみると、朝、浜中モーターズのおにいちゃんとあいさつし、保育園通りで、いきかうお母さん方とあいさつし、保育園で先生たちとあいさつし……と、たとえひとことふたことでも、複数の人と言葉を交わしている。都心部に夫婦2人だけで住んでいたら、ありえなかった生活だ。

昼飯はチャーハンを作る。とりがらの素で即席スープ。

昼あたりから日が出てきた。やっと晴れた。そういえば、女ま館の看板を出したとき、お隣のHさんと「やっと晴れてよかったわね」という世間話をしたのだった。

女ま館、ジャスト1時あける。本棚にはたきをかけ、床をほうきではく。

午後4時前、女ま館前というか小学校入口というか、公民館入口というか、その入口道路で、朝夕交通整理をしている自治会長さんにいざなわれて、ほそっこくて背の高い女の子がやってくる。女ま館に興味があるけど、内気で入れなかったらしい。私が「どうぞどうぞ〜、タダ(無料)だしこわくないよ〜」というと、靴を脱いで閲覧室へ入ってくる。もうひとり、そのお友達の子もいっしょに。気に入った本を手にして、なぜかふたりで外に出て、小道脇にしゃがんで読んでいた。

4時半にミュージックチャイムが鳴り、お友達が帰っていく。ひとり残った小6というその背の高いほそっこい子は「土曜日はやってないの? あしたは?」と質問してくる。「あしたは、おばちゃん用があるから、じゃあ、30日の土曜日にあけとくよ」と請け合う。
帰るのかな、と思いきや、「6時まで居ていいですか?」と。「おうちの人が心配しないなら、いいよ」答えた。

そういえば、少女まんがの主要読者は小学校6年生なのだという話を思い出す。彼女はまさにジャストなお年頃。第2次性徴まっさかりの人間相手のお話なのだ、そういえば。少女まんがって。

5時過ぎごろ? 常連Aさん来館。座敷に案内し、中野としばし談話。

5時半ごろ、きりんかんのSさんが赤ちゃんをおんぶしてやってくる。寄贈書をもってきてくれた。ありがたい。だが、そのおんぶ姿がどうもへん。初めておんぶしてみたとのことで、おんぶひもの調節がいまいちみたい。使わなくなったおんぶひもをタンスの底から持ち出して調節し、母子ともに快適なおんぶ生活のお手伝いする。すでに、整理終えていた娘のお下がり服とがらがらおもちゃひとつもついでにさしあげる。あれ? 物々交換だ。

午後6時、女ま館閉館作業を中野にまかせ、走って娘を保育園まで迎えに行く。

晩ご飯は冷凍チキンライスとピラフのごはん。あとクリームパン。牛乳。りんご?なんだっけ? ホームパイかな。ジャンクな食事をしてしまった。

2004/10/14(木)
秋に竹の子、雨後の竹の子。

くもり。少しだけほんの少しだけお日様。でも、ほとんどくもり。

パワーブックが一瞬真っ暗になり、壊れたかと思ったが、なんの単にリセットすればよかった。コマンドキー+コントロールキー+スタートキー。中野がやってくれた。よかった。心臓がどきどきしっぱなしだったのだ。反省して、さっそくデータをバックアップ。しばらくやってなかったため。

午前中は娘を保育園へ送った後、周辺の新井集落をちょこっと散歩。車を買ってからあまり歩かなくなり、危機感がある。足がばかになる、頭がばかになる……。でも、単に歩いてもばかにはなるか、と具にもつかぬ事をうつらうつら頭に浮かべながら、家に到着。

玄関に入る前に庭をそうじする。というか、竹の子を抜くのである。秋にも竹の子は生える。生け垣の竹が勢力拡大を目指して、そりゃあもう、でるわでるわ、雨後の竹の子そのままに。30本かそれ以上、ここ数日毎日のように抜きまくっている。この作業を怠ると、げに恐ろしき笹だらけの屋敷になってしまうのだ。それから、ケヤキの小道入口付近の落ち葉かきして、生け垣の下草を刈る。

中野がやっと起きてくる。中野はおそい朝ご飯、私ははやめの昼ご飯をする。私は、娘が朝残したのりたまふりかけごはん、大鍋煮、春菊の白ごま和え、大根のふるづけ、キャベツのみそしる、コーン缶のとんもろこし、緑茶という和風メニュー。中野はチーズトースト、紅茶、目玉焼き、きゅうりのサラダ。見事に和洋ぱっきり別れた食事。朝日新聞見ながら。

娘がやぶいた絵本とポスターをなおす。少しだけ四畳半を整理。おたおたしてると午後1時になるので、女ま館関連作業へ。

女ま館の日は、座敷、廊下、「おく」(閉架式蔵書の部屋名)をきれいにしておかないと、お客様に申し訳ないと反省したので、座敷に干してある服などをとにかく四畳半へ移動。廊下においた娘のおもちゃも見えないように台所の方へ移動。廊下と座敷をはく。洗濯物を四畳半へ。とにかく、生活臭がしそうなものは、女ま館エリアから排除。トイレもはいて、便器のばっちい部分のみそうじする。

午後1時頃、女ま館あける。すこし、小道の落ち葉を集めて裏へまく。すこーしずつ、きれいにするの計画。あまどいの落ち葉も脚立を持ち出してかき出す。とはいえ、座敷と玄関部分のみ。トイレ横の蜘蛛の巣もとりはらう。気になっていたので。すこしすっきり。はぁ、なんか、そうじばっかりしてるわ。

中野は、バスで取材ともうすぐ発売される本の出張校正に出かけた。

生協がやってくる。パルシステムを私は使っている。生協インターネット注文。

「おく」で日誌かきなどして、「やまのは」(女ま館開架式蔵書のある一般閲覧室)にチェックにいくと、小学生女児が3名読みふけっていた。久しぶりのお客様。庭そうじがきいたか。そういえば、生協のおにいさんもなぜか声をかけてくれた。

にしても、どうして、もう午後5時なの?

もう、食事を作る時間で、結局、女ま館HP更新ができぬではないか。

閉館間際、常連Aさん来る。自作の竹炭液ペットボトル500ml1本とみずならふたつをくれた。ありがたい。みずなら、かわいい。

2004/10/7(木)
くさらない東京、日の出町。

女ま館、いつも通り午後1時に開け、午後6時に閉める。

昼下がり、中野と「森の中庭」を散策しながら、ああしようこうしよううんぬんかんぬん、なんて近しい未来の話をしていたら、お客様。なんと大阪の方でした。昔、新聞で読んで、いつかは行きたい、と思っていたとのこと。そうですか、そんな昔のことをよく覚えていてくださって、ありがとうございますという気持ちになる。

その方は、所用で東京に来たのでついでに来てみたと。これが、東北だったりの地方だったら、たぶん来れなかっただろう、東京だから来ることができた、ということもおっしゃっていた。そうなのだ、女ま館が位置するこの日の出町は、一応、東京都なのだわ。あまりに寒かったり、都心部まで行くのが遠かったりするので(今日、東京行ってくる、とか言うようになってるし)、時々忘れてしまうのだが。

「そうだよね、くさっても東京だよね、ここ」(大井)
「あのな、くさりませんって」(中野)

初対面ではあったけれど、大阪の方ときいて、サービス精神が高揚し、座敷や閉架式蔵書の部屋も案内する。最近寄贈された『ベルサイユのばら』(ベルばら)のセイカのぬりえを見ると、いたく感動していた。 実は、私もこのぬりえには密かに感動していた。新品同様のとてもよい状態でもある。寄贈してくださった方、どうもありがとうございます。

夕方、女ま館真ん前にある日の出町立図書館大久野分室にやってきた母子ご一行様とあいさつ、女ま館へ案内する。保育園で何度か目にしてる方で、なんと『住宅建築』の編集部にいたらしい。私はほんの一時『コンフォルト』というインテリア雑誌の編集部にいたので、ふたりで驚く。『住宅建築』『コンフォルト』とも建築資料研究社という同じ会社が発行元のため、へぇ50点という感じ(へぇの使い方よく知らないのに使う私)。

小さな娘さんと息子さんは、いきなりリラックスして女ま館内を喜々として走り回る。普段は、他のおうちへ行くと固まってしまうらしいのだが。古い日本家屋は子どもに親しみやすいのか。

2004/9/16(木)
「のこぎり15分」もみじの枝を切る。

すばらしくいい天気。
朝は寒かったけど、現在20度。日差しはまだ暑い。

女ま館いつも通り午後1時に開け、午後6時に閉める。

小道入口の整備、雑草刈りなどをする。あまりのよい天気に誘われて、世話人の中野も庭木の伐採に乗り出してきた。ケヤキの小道入口のもみじの枝も切る。私も切った。直径20センチ足らずのぶっとい枝を、ぎこぎこのこぎりで15分間。途中、幾度やめようと思ったことか。だが、無事、切ることができた! 万歳! おなごでも、やればできるのね! でも、ものすっごく疲れた〜。右手に力が入らないほど。

がしかししかし、これで、庭がだいぶ明るくなった。南西の日差しが入るようになったぞ。少しずつ、少しずつ、庭がきれいになっていく。

切ってしまった大量のもみじさん、ごめんごめん。

2004/7/8(木)
少女まんがに経済問題は御法度? の巻。

暑い。梅雨はどこへいったのか。室温32度。
女ま館はいつもどおり午後1時にあけて、そして、午後6時に閉める。暑くて暑くてなにもする気が起きず、なーんも作業進まず。番台からすぐ近くの棚に並ぶ『女帝エカテリーナ』『おたんこナース』などをつれづれに読んだけ。ぐう。

『女帝エカテリーナ』のあとがき(原作者のトロワイヤ氏と著者池田理代子さんの対談)を読んで、おどろいたことがひとつ。「……経済の問題も、完全に避けるというのではなくて、かすかに触れながら、深入りしないという原則を守らなければならない」と、それが悩みだということを池田理代子さんがおっしゃっていたこと。

少女まんがは、基本的に10歳〜15歳の女の子が読者の中心であるからして(だからというのもなんだけど)、性描写を控えていることはわかっていたが、経済問題も控えられていたのか。わからなかった、知らなかった。なんてことなの!! 私のお金音痴は、少女まんがばっかり読んで大きくなったためだったのか? いや、少女まんがばかりのせいではないだろうが、でも、うーん、そうだったのかぁ。

女子どもにゃ、経済は知らせぬというわけか? んー、いや、ファンタジーの世界に、経済(お金)の話はあまりに現実的だから、ということか。経済の話は、男の世界、ということか、いろいろなことが頭をへめぐってしまった。

2004/7/1(木)
森の中庭。

ケヤキの小道と中庭をおそうじおそうじ。
小道は、雑草と枯れ葉と小枝がたまって、もう大変。ワイルド。でも、多少、ワイルド感が減ったかな。
中庭では、最近植えたカモミールまわりの雑草(どくだみ)を抜く。広い中庭のほんのちょこっとの場所だけに、ようやっと日が当たるので、そこが仮の畑というか花壇予定地というか。
桑の木、柿の木、榎の木。
ねむの木、ももの木、つばきの木。
いちょうにあおきにみずきになんてん……。
地面いっぱいほとけのざ。
……というようなワイルドを通り越し、森のような中庭。
ほんの数年ほったらかしただけで、こんなにも木々が伸びるのか? と、驚くばかりなり。

2004年06月10日(木)
夜十時すぎまでの延長開館日。

床の間のある座敷やらトイレやら玄関やら閉架式蔵書のある「おく」という部屋など、一般閲覧室以外の部屋も念入りにそうじする。今日は、予約のお客様がふたり。夜、来館予定のためだ。

昼間は、近所の親子が遊びに来て、小道の枝打ちを手伝ってくれたりもする。ありがたい。女ま館ご近所の「手づくり工房&Cafe"きりんかん"」のお客様も足を伸ばして、ちょこっと来館。常連Aさんも、7時頃顔を見せてくれる。

7時半頃、予約のお客様来館。10時過ぎまで、没頭して読んでいらした。結婚子育てのため、しばらく少女まんがを読まなくなっていたけれど「こんな近くにこんなところがあったなんて……うわー懐かしい〜」と……。喜んでくださったよう。よかったよかった。


2004年05月06日(木) 

女ま館、12時45分からあける。いつもどおり。そのまま小道整備。雨どいのそうじ。

5時ごろ「6年生の女の子ふたりこなかったでしょうか」と中年女性が探しに来る。

その後は、『花びら日記』(西谷祥子)を読む。最近、寄贈されたセブンティーン・コミックス。古きよき60年代という感じ。

6時、閉館。全力失踪して、徒歩5分の保育園へ娘を迎えにいく。いつもは早足なのだが、今日は走ってみようとふと思い立った。からだじゅうがぎしぎし痛くなった。ばかである。

2004年04月29日(木) みどりの日、すばらしくいい天気、まさに行楽日和

女ま館、1時ジャストぐらいにあける。ケヤキの小道のそうじを少しする。祭日で保育園が休みのため、娘の子守りをしながら。

すると、工事服姿のおじさんがワイルドなケヤキの小道をやってくる。はてな、と思ったら「電線の点検をしていて、このへん歩かせてもらってます」という。ケヤキがまたいっそう大きくなって、電線にかかっているし、我が家のカエデも電線にしっかりかかっている。これをチェックするわけね、と思う。確かに毎年、木の伐採に東京電力さんがやってきていたこと思い出す。

5時頃、常連Aさん来館。畑でとれたいうふきをもってきてくれる。いいかおり。アセロラドリンクお出しする。

6時閉館。

2004年04月22日(木) すばらしくいい天気

午後1時女ま館あける。今日は、4月末日締め切りの会社(さるすべり)決算業務を番台にパソコンを持ち込んでやる。まとめてやるものだから、なかなか、なかなか終わらない。

4時頃、常連Aさん来る。世話人・中野が対応。りんごジュースお出しする。

2004年04月15日(木)

午後1時女ま館あける。体調不良で起きていられず、番台コーナーで横になる。夕方、常連Aさん来館。

2004年04月08日(木) 

午後1時女ま館あける。午後6時閉館。ずっと番台で、女ま館HP更新作業。

2004年04月01日(木)

12時30分頃、女ま館あける。おとなりに住む小学生・Aちゃんが4時から5時半ぐらいまで来館。

2004年03月25日(木) 曇り時々晴れ 寒い

12時45分、女ま館オープン。番台にて守役。6時閉館。

2004年03月18日(木) 曇りのち雨
トイレ前に姿見を設置する。

午後1時、女ま館あける。世話人・中野と重い姿見をよいこらしょよいこらしょと運び、トイレ前に設置。これで全身を鏡にうつして見ることができます。

たまっていたメールの返事を出す。 2時25分、宗教関係のおばさま来る。すでに子育てネタがつきて、神を信じますか的な話となる。ほとんど馬耳東風体制で聞く。そろそろ潮時か。

2004年03月11日(木) すんばらしい顔がやけるほどのいい天気
大阪よみうりテレビの取材陣やってきたる。

朝9時過ぎから昼12時ぐらいまで、大阪の読売テレビの取材。女ま館、テレビ初登場であろう。日曜夜の『ほんわかテレビ』という番組で、大人が夢中になれる場所ということで紹介されるらしい。最後、近所の和菓子処「幸神堂」のお姉さんに来館をお頼みして、さくらしてもらった。そのまま女ま館をあける。

2時半頃、宗教関係のおばさまきたる。父親の役目が大切というお話。左様ですか。

4時半頃、女児2名来館。靴を脱ぎ、部屋にあがって、ひとまわりしてすぐ帰っていった。

2004年01月29日(木) 
『ちょっと待って、神様』に、ちょっと残念無念。

1時ちょい前、女ま館あける。あまりに天気がいいので、ずっと気になっていた小道の竹の根っこを取り除く。ちびシャベルだとイマイチ。取っ手がひん曲ってしまった。根茎の手強い敵にシャベルは似合わなかったか。やっぱりくわだろうか。 

2時過ぎ、宗教関係のおばさまきたる。子どもは神からのさずかりもの、というお話。愛さなくては愛されないというお話。ははぁ〜。

『ちょっと待って、神様』ですが、最初の一週間でマンガ原作部分が終わってしまい、あとは、家族ドラマになってしまいました。それはそれで、まぁ、よかったのですが。原作のラストはカットされており、個人的には残念だけれど、仕方ないのでしょう。でも、残念無念。

2004年01月22日(木) お〜寒!
大島弓子原作のNHKドラマ『ちょっと待って、神様』はおもしろい。

1時開館。今日はほんと寒かった。 そのせいか、お客さまはゼロ。
3時過ぎぐらいから、大井に代わり中野が番台人となる。

ところで、現在放映中のNHK23時のドラマ『ちょっと待って、神様』は必見です。大島弓子『秋日子かく語りき』が原作。ラストが感動的な名作です。女ま館としては、大プッシュ。原作とはお話も時代設定もだいぶちがったりするわけですが、現代テレビドラマとして大変よい味出しております。というか、泉ピン子さんの演技、おばさんぶりがすばらしいです。お父さん役の津嘉山正種さんは、マンガのイメージそのままで驚きます。きちんと21世紀の日本を反映していながら、”大島弓子の世界”を壊していません。はい。古き少女マンガファンは、つかまれること請け合いです。そうじゃない人もだいぶつかまれている模様です。NHKのホームページには、大島先生のコメントものっています。こちらへゴー。→http://www.nhk.or.jp/23renzoku/

はっ、忘れるところでした。それから、テレビ朝日では木曜夜9時からて『エースをねらえ!』が始まっていますね。テレビ朝日の開局45周年記念ドラマだそうで。こちらはまだ拝見してないのですが、少女マンガはテレビドラマの原作として、宝の山かも。→http://www.tv-asahi.co.jp/ace/

2004年01月15日(木)
開架式蔵書リストをつくる。

1時開館。
今日も2時過ぎに宗教関係のおばさま来る。 常連Aさん、常連女児2名も来館。
お客さまがいないときは、一般閲覧室にパワーブックを持ち込んで、開架式蔵書リストづくり。なかなかはかどらない。ぐぅ。
6時閉館。

2004年01月08日(木) 晴れ
平成16年、初めての開館日。

久しぶりにトイレ掃除、座敷そうじ。女ま館はいつも通りの掃除。午後1時15分前ぐらいに看板を出す。さぶい。暖房を入れる前、室温は5度であった。

2時過ぎに宗教関係のおばさまやってくる。子育ては子供の長所をみつけ、ほめることが大切というお話。はぁと拝聴する。

3時すぎ、常連Aさんやってくる。お茶をお出しする。古い『プチコミッ』クの樹村みのりさん作品を読んでいた。その後、中野とひとっぱなし。

4時半頃、さて、お客さんもこなそうだし、蔵書リスト作りでもするか、と思いたったら、女児ふたりやってくる。落書き帳をふたりで閲覧。そのうち、ひとりは落書き帳に熱心に書き込み。ひとりは静かに読書。5時半頃「やっばーい」といいながら帰っていく。

なので、日暮れからは番台に持ち込んだパワーブックを開き、女ま館日誌をHPにアップすべく、準備する。

午後6時、閉館。

2003年12月25日(木) 小春日和
『人間科学』を読む。

午後1時女ま館開館、6時閉館。2時頃、宗教関係なおばさまがいらっしゃった。今日のお客はおひとりさま。

小春日和の大変よい天気だったので、小道の整備などしようと思ったが、家族からのクリスマスプレゼント『人間科学』(養老孟司)をぐわんと半分以上読んでしまった。女ま館の番台は絶好の読書スペースでもあるため。なにか長らく使っていない脳みそのどこかを使った。脳みそに汗かきながら読んでいた気がする。

そういえば、今年は『バカの壁』が大ベストセラーになって、意外な気もするが、養老先生の思考が世間に広まるということはとてもよかことだなぁ、そんなに悪い時代じゃないかもなぁと、のほほんと思ったりするのだった。

2003年12月18日(木)
お茶メニューを考える。

1時少し前、女ま館あける。ほどなく常連Aさん来館。今日は、鳩サブレーを手みやげに。緑茶をお出しする。が……うむ、やはり、お茶のメニューがあるといいなと思う。少女まんが読みながら、お茶とケーキというスタイルは、優雅ですもの。

どうせなら、少女まんがに登場するお茶やお菓子をメニューにしよう、ということは以前から仲間内と話していた。やはり、最初は「ばらのエッセンス」でしょう。エドガーとアランのために。とはいえ、単なるばらの花びらだけでは、味がいまいち。ハーブですからあたくしは、という薬品っぽい味のため、おいしくない。だから、紅茶にバラの小花という体裁でいこう、とひそかに試行錯誤して行き着いた結論。あとはティーカップである。『ポーの一族』(萩尾望都)をもう一度見返すと、ティーカップは、別段どってことない無地のティーカップ。どうってことないという形も難しいが、なんとか探し出して数客買わねば。ティーポットも。春あたりから始められたらいいなと思う。乞うご期待。

お茶だけだとなんなんで、昔、私がアルバイトをしていた東京・神田の紅茶専門店「タカノ」のティーケーキをまねしたティーケーキなどもあるといいかもしれない。アールグレイの茶葉が入っていて、とてもおいしかったのだ。

あと、最近、個人的にはまった中国茶を出してもいいかもしれない。熱湯を入れると色が変わる工夫茶器のセットを持ってるし、茶葉もあるし。

んーと、中国茶も紅茶もだめっていう人のために、コーヒーもあったほうがいいか……。というか、コーヒーがいいという人が必ずいそうだなぁ……。

考え始めたら、とりとめがなくなってきた。いきなりいろいろできないだろうから、どうなることやら。

あと、一般閲覧室に、「少女まんがの歴史」などが張り出されているといいかもしれない、というより、そういうこともやらないとな、と思う。

2003年12月11日(木)雨時々くもり 寒い〜
『ちゃお』を読む。

午後1時、女ま館あける。ちょうど雨がぽつぽつと降り出す。
パワーブックを持ち込んで、開架式蔵書リストづくり。1時間ほどして、更新すべきファイルを間違えていることに気づく。がっくり。「セルを保護」という処置をし、もう2度と同じ過ちをしないようにする。
2時過ぎ、宗教関係おばさまが来館。この寒さの中、傘さして、ほぉ赤く染めて、やってくる。ごくろうさまだぁなと思う。5分ほどお話しさせて下さいというのだ。わりとあたりさわりがやわらかいため、むげに断ることもせずにいたら、定期的に通ってこられるようになった。そういう方。今日は「スナック菓子の食べ過ぎ、与えすぎは攻撃的な性格をつくる」というお話。「食べ物が性格に影響するなんて、思ってもみないじゃないですか」と。そうかしら?と思いつつ、話をきいてしまう。やっぱり、母親というか親の役目のひとつは、少なくとも10才までは、できれば18才ぐらいまで、きちんとした食事を提供することかもしれない、と思ったのだった。「これ夕食代だから、適当に好きなもの買って、食べなさい」などとお金を渡すだけいうことは、やりたくない。無理かもしれないが。
そんなことを考えながら、私は「そうですねぇ、私は牛乳をあげないようにしています」とか、関係ないことを話して、自分の興味フィールドへおばさまをお誘いする。「ただね、乳製品を食べないという選択をすると、食生活がとっても地味になって、つまんないんですよ。牛乳、チーズ、生クリーム、プリンとかヨーグルト、クッキーとか、要らなくなっちゃうから。だから、大人のほうは時々食べますけどね」などと、最近の生活に基づく感想を述べさせて頂いたりして。
3時半頃、青梅在住の常連Aさん来館。じぶんちの畑でできたものというすずしろ(大根のことね)、すずしろの葉を持ってきてくれる。ほか、みかん、りんご、キウィなども手みやげに。なもんで、お茶とみかんをお出しする。世話人・中野も出てきてひとっぱなし。20分ほどで帰っていかれた。青梅はみぞれだったらしい。
以後、おとなりの小学生・Aちゃんが貸してくれた『ちゃお』数冊を手にとって読み始める。いつも店頭で表紙を見る程度で、買うことはしないため、初めて。『ちゃお』は小学校低学年、中学年ぐらい、10歳前後の女の子に人気があるらしい、付録がいっぱいついてる、いわゆる少女まんが雑誌だ。まず、絵柄のアニメっぽさについていけず、入り込めない。が、意を決して、読む。すると、現実では絶対あり得ない設定がいくつも出てきて「あ〜、やっぱりまんがだわね、ファンタジーよね〜、いいわね〜」という気持ちになったのだが、それにしても、主人公の多くが、中学生やら高校生の設定なのに、目玉が大きすぎたり、頭に比して身体が小さかったりで、幼児にしかみえない。幼児体型の中高生が紙面を跋扈している。なんだかなぁな気持ちになる。私の中では、少女まんがの絵柄は、8〜10頭身体型があたりまえ。20年ほど前の少女まんががスタンダードなのだ。もはや、この手のアニメ的絵柄に感情移入することは不可能だと思われる。かくも少女まんがの絵柄は変わったものだ。
とはいえ、今も昔、10歳前後の少女たちの読み物として、こうした少女まんが雑誌が存在しているということは、いいことだと思うのだ。かつては影響力絶大だったが、今はどうなのだろうか。
そんなことを思いながら、6時閉館。

2003年12月04日(木)晴れ
ごぉぉぉんごぉぉぉん、お寺の鐘と一緒に。

1時頃、女ま館あける。
3時半頃、女児ひとり、にこにこ顔できたる。『空の帝国』6巻を読み始める。4時半前に「あ、4時半になっちゃう」といって、そそくさと帰っていく。どうやら、お母さんに「4時半までに帰ってくるのよ」といわれたに違いない。
いくら田舎とはいえ、この御時世、道があり、車が入るところならば、そこはいくらでも部外者が容易に入り込める。田舎だからといってぜんぜん安全ではないのだ。街道筋は特に。女ま館は、秋川街道まで徒歩0分。近所のほとんどの子供は秋川街道を通ってやってくるわけで、親御さんの心配はごもっともだ。
番台にいる間は、パワーブックをひらいて、スタイルシートのお勉強。何度となく挫折したスタイルシートをマスターすべく、お勉強ページを開いては、確認のテストをしたりする。したらば、だんだんとわかってきた、スタイルシート野郎が!!! うぉーーーん。
6時15分前、閉館支度に入る。まず、徒歩5分の大久野保育園へ娘を迎えに行く。急いでもどり、娘をだっこひもで腰につけたまま、落ち葉ふりつもりケヤキの小道をざくざくと歩いて、女ま館看板をしまう。ごぉぉぉんごぉぉぉんと、お寺の鐘と一緒に。今日はもうおしまい。また、あした(女ま館はまた来週ね)。そう、鐘はいってるような気がした。

2003年11月27日(木)
この部屋あたたかーい。

1時頃、女ま館あける。2時半頃、常連Aさんきたる。ひとしきり話をして帰っていく。会社を首になってしまったらしい。うーん……この御時世、なんといってよいかわからず、ともかく、日本茶を2杯、お出しした。電気カーペットと石油ファンヒーターでかなり室内はあたたかくなった。
4時前に女児二人組きたる。傘を忘れたふたりか? 4時少し過ぎ、女児ひとりきたる。「この部屋あたたかーい」といいながら。室内は3名に。『空の帝国』をごっそり出して読み始める。3人静かに少女まんがを読んでいる。
4時半、ミュージックチャイムが鳴る。3人とも本をしまって、帰り支度をして帰っていく。「気をつけて帰ってね」と声をかけると、「はい、さようならー」と元気に返事する。皆かわいい。
番台に座っている間、百科事典ソフトをPowerBookのハードディスクにインストールし、少女漫画家辞書もインストール、ATOK辞書にもともと使っていたiBOOKの標準辞書との合併というわざをやったりする。夏にPowerBookを買ったのに、のびのびにしていた作業だった。で、ハードディスクの整理を少ししたら、もう、娘を保育園に迎えにいく時刻、つまり、閉館の時刻になった。
6時、閉館。外は真っ暗な上に寒い。

2003年11月24日(月)
町民文化祭に便乗開館の巻。

昨日今日は町民文化祭ということで、女ま館のお隣にある日の出町公民館や町立大久野小学校体育館で、日の出町在住の方々のいろいろな作品が展示されているらしい。なので、女ま館も勝手に便乗して、開館してみることにした。
1時ジャストに女ま館をあける。2時ちょい過ぎ、若いカップルがやってくる。いい感じのふたり。女の子かわいいし、育ち良さそうだし。男の子もかわいらしい。ふたりとも本いろいろを手にとって懐かしそうに話している。急いでないとのことなので、中国茶をお出しする。もしかして遠路はるばるきたのかもしれないと思って、いつもはしない接待をしてしまったのだ。が、それは早合点だった。女の子の母親が町民文化祭に出品しており、それを手伝いにきたという。3時頃、その片付けがあるといって帰っていった。 落書き帳を見たところ、上手な女の子の絵が描かれていた。そして「小学生のころ、漫画家になりたかった」とコメントあり。便乗開館のかいあったか。
4時半頃、番台を留守にし、女ま館出入り口がよく見える、学童クラブの建物前で、娘(1歳)を遊ばせていたら、女児がふたり、自転車でやってくる。学童クラブ前に自転車をとめ、まっすぐに女ま館へ駆け込んでいった。このふたり、常連さんなのだ。
また、同じころ、近所の若奥さんが、偶然通りかかり、「あら、今日やってるの?」と気がついて、初めて女ま館にいらっしゃる。はいからさん、田渕由美子などを見て「なつかしー」と連発。「実家から嫁家へもってこようと思っているうちに捨てられちゃったみたいでねぇ」とさびしそうにいう。小学校低学年と保育園の息子さんふたりもいっしょに館内をぐるりと視察する。「うちの近くにこんな空間があったなんて……。木曜日も、週末も仕事だからむずかしいけど、ほんと、夜とか、きてもいいの?」というので、「どうぞどうぞ、予約ありですから」と答える。
近所の若奥さんと常連の女児ふたりは、もちろん顔見知り。どちらも同じ大久野在住。「もう暗いからはやく帰んなよ。女の子はとくにね」と若奥さんがいう。私も「そうだねー、もう、真っ暗だから、そろそろ帰った方がいいんじゃないかな」と便乗勧告する。が、彼女たちはもうちょっといるという。きちんと正座して、『空の帝国』などを読んでいた。5時15分頃に帰っていった。
6時、閉館する。
というわけで、今日の来館者はカップル1組、親子1組、女児カップル1組で、計7名様でした。

2003年11月22日(土)すばらしくいい天気
女ま館小域地図をつくる。

女ま館わきのケヤキから枯れ葉がたんまり落ちてくる。午前中は、女ま館の出入り口まわりだけを落ち葉かきする。ゴミ袋特大2パックにぱんぱん、大パックに少しと3パックのゴミ袋が出来上がる。
一般閲覧室に、はたきとほうきをかけ、少しはやめに看板を出す。12時40分ごろ。
番台を少し留守にして、「女ま館小域地図」をつくるべく、近所を2度ほどいったりきたりしてノートする。店や建物の表記、位置関係など、案外ちゃんとわかっていないことに気付く。
今日の来館者はゼロ人様でした。

2003年11月20日(木)
チョビファンのちびっ子きたる。

午後1時、女ま館あける。
午後3時ごろ、いつもおもしろい話を教えてくれたり、まんがを貸してくれたりする常連Aさんがやってくる。開けていたドアをしめ、今冬初めて、石油ファンヒーターをつけた。室温12度だった。電気カーペットだけじゃ、もう、寒さはしのげない。『蟲師』やほびっと村の話などを15分ほどして、Aさん、帰っていった。
4時頃、ランドセルを背負った女児2名、ドアを開けて無言で入ってくる。
『動物のお医者さん』などを、おとなしく読んでいる。 4時38分、「もう帰らなくっちゃ」と突然ひとりが言いだし、 あたふたとふたりとも無言のまま帰っていった。その後、落書き帳を見てみると、"チョビ"が上手に描かれていた。ふたりともチョビのファンのらしい。
6時、閉館。ふと、傘立てを見ると、見なれない傘が2本。女児ふたりが忘れていったにちがいない。外に出したままにしてある看板に、2本の傘をかけておいた。

2003年11月08日(土)すばらしくいい天気
今日は臨時開館日。

午後1時ちょい前、開館。
午後3時頃、母子とおぼしき人たちがやってくる。1時間ほど滞在。ちょうど私用の来客で、番台にあまりいなかったため、ほとんど会話せず。ちょっと失礼してしまった。あとで気がついたが、蚊取り線香をたき忘れていた。
午後5時、すでに日はとっぷり暮れた。もう真っ暗。
午後6時、閉館。今日の来館者は4人様だった。初めて土曜日に開館したが、そのかいありか。

2003年11月06日(木)雨のち曇り
開館閉館の作法。

午後1時少し前、開館準備。閉架式蔵書がたんまり入った西北の部屋「あかね(茜)」のカーテンを開けて、電気をつける。「あかね」の隣部屋、開架式蔵書を置いて一般閲覧室として使用している北西の角部屋「やまのは(山の端)」に入り、カーテンをあけ、電気と電気カーペットをつける。「やまのは」の玄関内に置いてある「少女まんが館開館中」とプリントアウトした紙を貼った白い四角い看板を抱くように持ち上げて、女ま館前の落ち葉と笹がしげるワイルドな小道「けやきの小道」を10メートルほどわさわさと歩いて、小道入り口に設置。開館時間などを書いた紙を白いキャンバスに貼り、イーゼルにのせた特製看板を玄関前に設置。いつもは外壁にへばりつかせて置いてあるもうひとつの白い四角い看板を玄関前に設置し、女ま館名刺入れを取りやすいように小道側に置く。ドアを開け放し「ご自由にお入り下さい」という小さな看板をドアノブに吊し、蚊取り線香をたく。「あかね」へ入り、「やまのは」と「あかね」を仕切る障子紙をはっていない障子をしめる。そして、「あかね」の「やまのは」側に置いた文机「番台」の前にすわる。これが女ま館開館前の作業だ。はたきをかけたり、ほうきではいたり、そうじ機をかけたりなどもその間にすることもある。
しばらくは「やまのは」にパワーブックを持ち込んで、開架式蔵書リスト作りを進める。まだ、iBOOKからパワーブックへの移行がちゃんとできてないため、少女漫画家辞書もATOKユーザー辞書もカスタマイズされておらず、どうも難儀だ。少し進めてやめる。番台にもどり、女ま館HP更新作業。ちんぷんかんぷんだったジャバスクリプトが少しわかった。
午後6時、閉館。小道入り口の看板、イーゼルをしまい、玄関前に出したもうひとつの看板を外壁にへばりつかせ、女ま館名刺入れを雨に濡れないように外壁側に置いて、ドアを閉める。カーテンをしめ、電気と電気カーペットを消すと、もう、ほんと真っ暗。
今日の来館者はゼロ人様だった。いつもはお隣に小学校があるせいか、小学生が数人は来るのだが……。日が短くなったせいだろうか。


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